過食症

 のようではないかと、オレの本を買う病気は。今日はなぜかこのミスの古いやつを読みまくっていたりとか。蜂飼耳、はまれず。
 ところで、会社の同期とかそういう同年代の賢い系の人たちと喋っていて、「あっこの人たちは違う世界の人なんだな」と思うことがたびたびあるのだが、どういうときかというと、アカデミズムというか、大きい物語に対しての向上心(へんな日本語)が総じて旺盛なのである。皆、思考して何かを生み出そうとしているのである。そんな意思はないかも知れんけど、スタイルは違えど思考を前進させようとする気持ちみたいなものが見える。見えるたびにオレは生きてる価値なんかないと死にたくなるのだが。
 今いったその気持ちとは、野心というやつに少し似ている。オレの言葉では、インテリの野心というのは「大きな物語へのオブセッション」である。いっぽう、オレは小さな物語しか興味がない。個別の事例しか興味がないのだ。個別の事例の集積は、経験というものになる。論理的思考力というヤツは、“最終的には”大きな物語を組み立てるためのツールなのである。ところで、オレのゼミはそういうのを学ぶところだったのだが、そんなのはくそくらえだ。経験による直感に頼ったほうが効率的なのだ。だから一見非効率に見える個別の事例を拾い集めるんだよ。
 ・・・なんで、こんなことを書いたんだったか?
 んーと・・・。
 ・・・あ、分かった!買った本の半分以上を斜め読み、飛ばし読みしている自分を正当化する屁理屈を書きたかったんだろう。
 そして、今さっきスポンジスターのくぁwせdrftgy藤子フジオA論をぱらぱら読み返してたのだが、やっぱりこの論文はすげーって。導入から掴まれる。ハットリくんがお金で解決してしまう話からものすごくいい。笑えるという意味でも勉強になるという意味でも面白いし、なるほど!そういえば!と思わず声出しちゃうもんな。そして前読んだときは斜め読みだったけど(まんが道読んでなかったしな)、こんなふうな結びだったんだと再確認。この論文、特に前半が好きだなー。漫画やアニメの必殺技と同等、あるいはそれ以上に、高額の現金はわれわれにとって神聖なものだったんだと。漫画評論なんてテヅカイズデッドとか、夏目房之介ぐらいしか読んだことないけど、この論文は圧倒的にすげえ。ブルボンの真価は漫画・ゲーム評論にあるのではないかと。少なくとも、小説にはないのではないかと(ごめんなさい)。
 あと、何回も言ってると思うけど、ブルボン『ジュゲームモアノンプリュ』の、4人打ちマージャンの「ちんこにしか見えない」の写真は一回見たほうがいいよ。本屋で、最初の10ページだけでも立ち読みしたほうがいいと思います。

秘密のおこない

秘密のおこない

ジュ・ゲーム・モア・ノン・プリュ (自腹文庫)

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