ふあー

 テレアサの開局50周年とかよくわかんないけど、ロンブーのガサ入れ(とNot100)を復活させてて思わず見てしまった。マジ懐かしいなーこれ。よく見てた。高校時代を思い出す。
 遅ればせながらサイゾーを買ってしまった。宇野つねひろが「聖家族」の完成度が低いと言っていて安心する。なんかそんな感じがしたんだ。というか、そもそも完成度の小説を書くタイプの作家じゃないような気もするが、まあほとんど読んでないから知らん。オレは完成度の小説を読みたいタイプの読者だから、たぶん相性が合わない予感だけは数年前からある。食わず嫌いなのだ。この人のきつすぎる言い方についていけないトキが多いのだが、ところで脱線してみると、この「〜こと」の誤用としての「〜トキ」という言い方が個人的には好きである、ROOKIESで「あんた甲子園行ったトキあんの?」って赤星が聞くシーンがあったと思うけど、人物描写のための言葉遣いってほとんどが常套句というか陳腐な公式と化していて(ギャル=「ていうか〜」みたいな、って古いよキミ、古井ヨシキチ)、その中で新鮮だったのだ個人的に。
 で、宇野つねひろだけど、この人はパフォーマンス的な過激発言が多すぎて苦手なのだった(まさにオレのことである)。でもこの対談はいろいろうなずけることがいっぱいあってスカッとした。中村光の過大評価っぷりとか。あんな売れ方、あんな売り方するマンガじゃ絶対ないだろう。ところでベストセラーって、一部の集団つまりナショナルチェーンの売り上げ上位店とかで普通に売って、それで売れて、で中小書店がPOSデータ見て真似して各地で置いて、でまた売れて、っていうふうにできていくものだと、こないだ出版社の営業の友人が言っていたのだが、そのとき門外漢の私が思ったのは、その手順ってすごく真っ当なことだなということであった。と同時に、それを意図的に作ると、集団の読書経験が歪んでしまうのだ。つまり、真っ当にやって売れたならいいけど、真っ当じゃないやり方でそれをすると、嫌な読書にぶち当たってしまうという危険性があるということで、まあそんなものは所詮オルタナティブだと割り切ればいいんだけど、それが権威化するとダメなのだ。その悪い例が頭の悪いマスコミの連鎖爆弾だったり、本屋大賞だったりすると思うんだけど、何が言いたいかって言うと、聖☆お兄さんの面白さは中の上くらいなもんだってこと。あと、福満しげゆきがお気に召さないみたいだが(←こういう丁寧表現は最低な嫌味なので避けるべきだと思うのだが直さない)、あれは大きな物語じゃなくて描写で読むマンガだから、ダメ人間の自己愛の方向で読んだとしても(オレはそうは思わないけど)、普通に傑作だと思うんだけどなあ。最近、描写でマンガや小説を読む人って実は非常に少ないことに気づいて俺は愕然としている。傲慢な態度を取りたいつもりじゃないのだが、とにかく小説の話が合わない人ばかりで悲しい。だから最近は小説を読みたくないんだと思う。
 で、一番面白かったのは『だんだん』のひどさの話。あーあ、こんなふうに一つのコーナーの話をずっと書くつもりはなかったのに。
 あと休刊だというから編集会議を買ってみたが、相変わらず残念な雑誌だなあ。いや別に面白いところもあるんだけどさ、広義のスイーツ(笑)系のための雑誌なんだよなあ。石平さんの話を読んで不覚にも(←不要)気持ちをARATAに頑張ろうと思ってしまった。自分のスタイルを貫き通す勇気は復活してきたので、好きなことだけはもっとちゃんと勉強してその勇気を支えなくてはならない。
 ・・・はァ、なんだか最近意見表明が多いな。もっと同年代と喋ったほうがいいのかもしれない。

サイゾー 2009年 02月号 [雑誌]

サイゾー 2009年 02月号 [雑誌]

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