ンモー

 前にも一回書いたような気もするが、ゲーセンに行くことも割とあって、アンサーアンサーというオンラインクイズゲームをやる。私はトリビアルな知識が好きなのである。飽きっぽくてひとつのことを考え続ける集中力がないから、瞬発力のある驚き、のほうが性格に合っているのだと思う。で、そのゲームは特定の分野についてだけ詳しい人よりも、満遍なくいろんなことを知っている人が強いようになっていて、常識がない私は決して強くないのだが、そういう自分を恥じて知識を増やすきっかけになりうる機会になるので、はまってしまったのだ。
 たとえば、今年になって初めてトヨタのマークを知ったくらい、車が分からない私は、次のうち軽自動車はどれか、とかいって商品ブランド名が羅列してあるクイズなんかはもうまるで分からないのだが、そういうある分野について絶望的無知であることは悪ではないかと最近私は思うようになった。私はよく「自分が興味を持っていること以外に無関心すぎる」みたいなことを言われるのだが、ただあるとき急に今までまったく興味のなかったものに興味を持ち出したりするので、それはいかんともしがたいくらい仕方のないこと、というか、つまり新しいものへの接見の仕方が変わっているというだけで、広く浅くが苦手、みたいなことなのだと思う。しかし、それは一方でコミュニケーション不全ではないだろうか。興味のないものを持ってきた人にガッカリされてしまうのではなかろうか。だから、詳しくなることもないけど、最低限の知識は満遍なく持っていたほうがいいのではないかと思うのだった。しかし、これは非常に変えづらい性質だ。私は、どうせなら詳しくなりたいと思ってしまう、凝り性、のタイプなのだが、その気持ちを放棄していかないと、大変なことになってしまう。いや、なんか途中からおかしいか。私はトリビアルな知識が好きなくせに、凝り性なのであるというのは矛盾しまいか。しないか。
 ということで、もう書くことに飽きたからここで一気に結論に向かうが、もっとニュースに興味を持とうかなと思ったのだった。あと、二度三度触れるべきなのだ。ああもう何を書いているか分からない。
 とにかく昨日、めでたい会があって、で今日、二日酔いがあって、頭が痛いから少しネガティブになってきて、その上でえらそうなことを人に言っていたら、急に自分がゴミのように思えてきて、ここ最近はあまり思わなかったのに、とにかくゴミなのだおれは。ゴミなのである。どうすれば自己肯定感みたいなのが増すのだろうかと考えていたら、もっと人と話しているときに相手がなるべくいい気分になったり、得した気分になるように自分がガンバることだと思って、それには絶望的無知の態度を堂々と取るのがいけないような気がして、この話は最初に戻る。
 最近、頭を悩ませることが割と多い気がして、なんだかよく分からない。死にたくなると、割と楽しく暮らしていた日々は怠惰だったのだと思えてしまうのである。そのあとでまた楽しくなると、その分だけそれが怠惰でまた死にたくなったりするのであるが、ただひとつ言えるのは健康もそうだし、精神的にもそうだが、人生というのはちょっと悪いことがあると、それをごまかしごまかしして見えないようにし、でまた次の悪いことが起こると、同じようにごまかして良く見せ、で、気づいたら年を取って死ぬというものであって、だから適当にやればいいのだが、しかし自惚れが強い人間はこの時までにこうあらなくてはならぬとか思ってしまって辛くなるのだが、早く、他人が自分を悪く言うこと、その可能性の被害妄想を無視できるくらいに、図太くなりたい。まだダメだ。しかし、その図太さを早くして身につけた人間に嫉妬し、足を引っ張る文化もまだ根強く残っていて、ああもう分からない。書くことに飽きたんだじゃなかったのか。