ぼくは

 ジェフリー、人が自分の死ぬ時を知っていたらって考えたことはあるかい。小説を書いてる時って、最後がどうなるかちゃんとわかってるだろ。人生もそんなだったらって思わないか。そうすれば、きっと毎日が――特別になると思うんだ。

 磯崎の崎はこれでいいんでしたっけ?とりあえず「終の住処」がすごく良くて、35歳以下の人が書いた小説は一切読まなくていいんじゃないか説が再浮上している。あとね、きっと芸術を通じての自己実現欲求みたいなものがなくなったサラリーマンにとって、フリーターや派遣とか、何かを目指して軸足がその会社にない人の物語とか、うっとうしいんだと思った。もうキクコのいい読者になれないかもしれない。今年に入って、ますますサラリーマン化している。そういう人にとって面白いのが島耕作であった。そして島耕作みたいだと思った(先に言われた)。
 11年間、口を聞いてもらえなくなることの物語が、妻にあったんだろうけど、それとは関係なく男は自分で物語を考えて、でもひょっとしたら何もないのかもしれない、という感覚と闘いながら、なんだけど、こういう感じ、一生続くんだろうなと思った。結婚すればもっとひりひりしたものになるのだろうか、あるいは逆か。女性ってマジ意味わかんねえ、って小説といえばその通りなんだけど、まあ女性は意味わかんねえよな。こいつが何考えているか分かってるって思ってるときは、たぶんその人に対して気持ちがないときなんだと思う。どういうことかっていうと、元に戻すと、「終の住処」は、取り残された男の小説じゃなくって家族の小説ってことなんだ。