書きたい書きたい書きたい死にたいでも生きたい

 ここのところ映画を見ようと思っているのだった。再生マシーンがあることですし。それよりもひとりで映画館に行ってみたいと思っているのだった。それはまだ叶わず。かわりにゴーギャン展などに行ってみたのだった。ゴーギャンの遠近感の狂いはちょっとおかしいと思った。単に絵が下手なのか。あと、遠景と近景の2パターンがあって、彼はどの絵から先に描くんだろうといちいち思った。モチーフがわりと繰り返し変奏してる系で、そういう意味では藤田嗣治とかと真逆だと思った。わりと性格が真面目なんだと思った。ところで芸術新潮を読んでいたら、ドビュッシーとの因縁というコラムがあって、全然ゴーギャン関係ないけど、ドビュッシーガムラン聞いて啓示を受けたとの記述があって、だからドビュッシーはいいけどダメなんだよボケ。
 で、映画シリーズは実はちゃんとやっていて、すでに買っていたDVDを見たりしている。シリーズ第1戦「非現実の王国で」は割とあっさり半分くらいで挫折し(ヘンリー・ダーガーの映画)、第2戦は「ベンヤメンタ学院」(これも買ってしまった)を今見ていて、けっこう面白いんだけど退屈で、この“面白退屈”の他の例を考えていたら集中できないし、ていうかこれ見てたらおかしくなりそうだし、中断。召使になるための訓練で、想定セリフの練習を皆でやっていて、これが面白いのだが、違うんだ、今こういうのを面白がる感じの自分は求めてないんだって。もっと普通にモテる感じの自分が求められているのだ。単時点的(パンクチュアル)な意味でにおいて。厭だわ。ヴォネガットは嫌いなのに、すぐもじったり引用したりしてしまうんだ。この“嫌いなのに引用してしまう”の他の例は、いいやそんなこと考えなくていいんだ。
 ところで、どう考えてもDVDのチョイスを間違えているのはわかっているさ、ああわかっているとも。

芸術新潮 2009年 07月号 [雑誌]

芸術新潮 2009年 07月号 [雑誌]