術中に嵌る

 ジェイク池袋ほかで本を買ってしまった。ジェイク堂では現在ピンクレシートキャンペーンみたいなことをやっていて、なんとレシートを集めるとデリヘルを一回タダで頼めるという……違うかー(ものいい)、そういうんじゃなく、ピンクレシートを集めると景品とかがもらえる。そしてなんと1万円分のレシートで500円の図書カードがもらえるという。こないだ何にも知らずにジェイク新宿で9000円くらい買ったら、それを知らされ、その二日後に再びジェイク新宿で1500円くらい買い、どうせならもう1万くらい目指そうと思って、どうせ弾かないラグタイムの楽譜とか今日ジェイク池袋でまた8500円くらい買ってしまい、もう一回行って2万にしなきゃと思ってるこの状態。
 こないだレッドカーペットを見て割と面白くて知らないお笑い屋さんが出ているものなのだなーという感想を持ったが、それはそうとあの審査員はどういう装置と位置づければいいのだろうか。どう面白かったかをコメントしなきゃいけないなんてあり得ないとか思うのだけど、お前より面白さわかっとるわいボケ、みたいなことを思わされるのは必至で、それは消化しきれない自惚れへの反省みたいなものを呼んでくるのだが、それは逆に番組に引き寄せられる原因になっているような気がしなくもない。というのは爆笑オンエアバトルの点数と似ていて、漫才やコントを見たあとにその点数に対して「オレならこうだ」みたいなことを思ってしまうのである。ただしあの番組の場合はその順番が転倒しているのがミソで、点数を見たあとに、「あんまりおもんない響に、ますだおかだレベルの高い点数がついてる、どんな漫才をしたんだろう」とか思ってしまうのである。書いてて、響がどんなコンビだったか思い出せてないけどな。あらびき団も同じで、あの二人と一緒に見てるという装置がとても大事なんだと思う。だけど、どう面白かったかを説明するというプレイを見るのは寒々しいことこの上なし。谷原章介のブランチ用のトレーニングを見てどうするんだと。いろいろ書いてみたが、最初言おうとしたのは友人のブログにはっつけてあって知ったビーグル38はガチですごいということ。
 かようなテレビ話をしてしまったのは、「テレビ観賞家」宣言、という本を読んで影響されたからであろう。以前思ったのだが、ナンシー関という人は、かつてかなり多くの人々にとって的確で痛快なコメントをするテレビウォッチャーとして認識されていたのだろうと思うのだが、後期のほうの私が知っている番組のエッセイを読んでも率直に言ってそこまで的確で痛快だとは私には思えない。何が言いたいかというと、私にとってのそういう人が欲しい。できる人はどこかにいるに決まっているのである。