いやー

 機会にめぐまれて今日読んだのだが、マキューアン『贖罪』はマジでやばい。今年は小説をぜんぜん読んでないけど、今年読んだ小説とくくるならベスト1だろうな。
 ところで、帰ってきたら母親がゴールデン・スランバーを読み終わっていて、怒っていた。つまんないのを我慢して最後まで読んだのに、最後までなんにもなかった。こんなひどい小説だとは、と。それはともかくもっと徹底的に叩く人がいっぱいいてもいいと私は思うのだが。正直書評な人が辻ちゃんとか慎ちゃんをぼろっかすに叩いているが、たまたまこの人が好きなだけで、同じようなものだと思う。ところで、叩くと書店員に嫌われて商売がしづらくなるという現実があるように思える。もし仮に意図せずともそういう作用が働いているとすれば、もはや書店員は一種の圧力団体である。埋もれている本を発掘したいという理念、そしてその活動は本当に尊いものなのだが、小売店が団結して商品の区別をするということのおかしさは厳然と存在するのであって、その後ろめたさだけは絶対に忘れないほうがいい。おせっかいだが。ようするに、マキューアンでも読んでなさいってことだ。たぶんな。
 ところで、今日から、ピンチョンを読もうとして『スロー・ラーナー』を読んでピンチョンを読んだことにするとか、デリーロを読もうとして『ボディ・アーティスト』を〜以下略、そういうような行為を“『クリスマス・キャロル』方式”と呼ぶことに決めました。もちろんこれは恥ずべきことであり、やってはならないことである。皆さんもぜひこの用語を使ってよろしい。何が言いたいかというと、マキューアンを読めと言われて、『アムステルダム』を読んではいけないということである(ブッカー賞だけど!もちろん、夢見るピーターも駄目よ)。『予告された殺人の記録』も駄目だ。ただし、『代書人バートルビー』は独断と偏見によって例外とする。
「先生、ピギー・スニードはどうなんですか?」
「ばかもの!むしろアリに決まっておろうが!」
 なお、オレは『ボディ・アーティスト』しか読んでない。そして声を大にして言いたい。ドン・デリーロはマジすごいから!また、オレはバートルビーしか読んでない。あえて言おう。メルヴィルは面白い!