アケ オメコ トヨロ

 文藝の柴田元幸特集の話。
 読んだものを全部訳しちゃう、というスタイルはなんだか分かった気がした。ゲンちゃん対談の20ページで、高橋「大量に書いたり訳すのは〜自我の支配を信用していない人なんじゃないか〜」という言い方がおもしろいと思った。そのあとの柴田元幸の答えはすごく分かりやすいんだけど、つまらない。というのは、「自我の支配を信用しなくちゃならない(=それこそが書くという行為だ)」という強迫観念にとらわれて、その自我の支配の難しさに挫折して投げ出したところからこのブログは始まっているのであり、「自我の支配を信用しないようにする」という決意というか怠惰の選択をしたとき、そこに書かれたものは自我とどう関わるのか、という問いがテーマみたいなものだからである。今年は個人的に重要だと思われることをなるべく記録していこうと思うので、太字を使ってみた。これは何日か先の三日坊主という話の伏線なので注意しておくこと。
 古川ヒデオとスティーブ・エリクソン(というか、黒い時計の旅)の関わりの話は新鮮であった。古川ヒデオは実質食わず嫌い中なのだが、スティーブ・エリクソンだと思えば読めるような気がした。というか、こういう作風って作者の顔が見えないほうが読みやすく、思うに僕は先に古川さんの顔が見えすぎてしまったがゆえに読みづらくなってんじゃないかと。作品のボイスが作者のボイスに変わっちゃうと読みづらいんだよね。つくりこみによって作者のボイスを作品のボイスに変えるのが作家の仕事だと思うんだけど、まあ古川さんの個性がそれを難しくしていて、まあオレみたいなことを考えなければ普通に読めるんだろうけどもさ。
 岸本サチコさんが、柴田さんの大学での刺激をうらやましいと言っていて、まあ普通の話なんだけど、でも普通に学生との授業とかの機会が増えたらもっとこの人は面白くなるんじゃないかと生意気ながら思った。たまに「ずっとは嫌だけど、1年限定くらいで会社に戻りたい」みたいなことを言っていて、たぶん異世界の空気とかボキャブラリーが翻訳に役立つという意味だと思うんだけど、柴田元幸以上にそういう場面での刺激がいい方向に作用する人のような気がする。柴田さんが岸本訳はネチネチしてると言っていて、よく分かるのだが、オレの言い方だと岸本訳って、ちゃんとまっすぐ帰っているのに、あちこちで楽しいことしてる道草みたいなイメージがあって、いや意味不明かな、別の言い方にすると、えもいわれぬキター感があちこちにあるんだけどまったく破綻していないみたいな、お気に入りの箇所はあるのに終わったら覚えてないみたいな、見た目ゴツゴツしてるのに触るとまっすぐなフェイクプリントみたいな、訳わかんないけど、なんかそういう感じ。なんて、あんまり訳を比較できるほど読み込んでないんだけど、その「ネチネチ」の感覚をオレが共有できてるかわかんないんだけど、なんかフレーズ一個でパシーンと決めるんじゃなくて、数フレーズでじわーんと決めて、それが局所的にあるみたいな感じ。岸本さん自身の面白さってややもすると陳腐な言葉で語られがちで(たとえば、「日常生活の変な、気になる部分を見てる〜」とか「これは恋愛小説じゃなくて変愛小説です」って確かにそうなんだけど、それだけじゃ岸本さんの面白さを語ったことにはならない)、自分だけの表現を見つけたいと思ってしまう。

文藝 2009年 02月号 [雑誌]

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