↑このシリーズはいろいろ思いつけそうだが、やり続けるのはどうか

 自分の中で手塚治虫を流行らせていたら、新聞に芸術新潮の広告がででんと載っていて、こんな特集だなんてまったく知らなかったのだが、オレの中の流行は世間を先取りすることもけっこうあるのだ。ラストが腑に落ちない話を書いたが、手塚治虫がラストというか原稿自体に手を入れまくる人であることは書いておかないといけないだろうと思う。実日の「人間ども集まれ!」と「上を下へのジレッタ」の完全版がすごいのは雑誌原稿と単行本原稿を併録するというむちゃくちゃなことをやっていて、ただこの枚数でこの値段だから阿漕という印象は持たないのだが、とにかくその比較はなかなか興味深い。ところで、今月号の芸術新潮を読むまで「奇子」のラストを変えたことを知らなかった。私の知らなかった新しい論点もいくつか上がっており(例えば、手塚治虫は「穴」や「変身」へフェチシズムを持っていそうだとか、スターシステムという自作キャラを俳優として使っていくやり方とか)、非常に興味深い。ただひとつ文句をつけるとすれば、田中圭一の役割を間違えているんじゃないかということだ。田中圭一の意義は「エロマンガスタディーズ」の序章かなんかに書かれていたとおり、潜在していた手塚治虫のエロさをエロパロディ漫画を描くことによって顕在化させたところにあるのだ。つまり、例えばドラゴンボールのエロ同人を見てもぴんと来ないのに、田中圭一手塚治虫パロディはぴんと来てしまうという事実を田中圭一は無意識か意識的にか知らないけど明るみにしてしまった。
 なんだか最近マンガの感想ばかりだ。私がオタク化するのは、他に楽しいことがない時であると思う。生きていて楽しいときはクロスジャンルな筋肉を使ってしまう。とにかく、なんだか日本語が不自由である。
 繰り返し言うが、PLAYBOY休刊って哀しいなー。読んでて思う。PenでもBRUTUSでも、ゴミみたいな……いや言い過ぎた、もっと全然面白くない雑誌がいっぱいあるじゃないかと。ところで、裏モノJAPANは創刊10周年だそうだ。高校時代の愛読誌のひとつ(買うのは今回初)。